過食症を治した体験から「過食が助けてくれたことを知り、卒業する」

2018-12-02

今回は、「つらくて苦しかった過食症だが、過食に助けられたところもある」という側面に着目してみました。その考えは、意外にも私が過食を治すうえで役に立ったのです。

過食症がつらいのに、過食はストレス発散になる?

私の摂食障害歴は長く、中学生~20代の間は、ほとんどずっと拒食や過食と共にありました。

その中でも「吐かない過食(非嘔吐過食症)」の時期が長く、「過食するのに、吐かない」という、自分の中で何の得にもならない行為をすることが苦痛でたまりませんでした。

過食は、自暴自棄のパーティー!?

しかし、そんなある日のこと。

精神的にダメージを負うようなとても嫌なことが起きたのですが、何とその後、私は自分にこう言い聞かせたのです。

「今日は過食してやる!今日はパーティーだ。好きなものを買って食べよう。うふふ・・・。」

心の中で、不敵な笑みを浮かべている自分がいました。

今振り返ると、それは自暴自棄になると共に、「過食はストレス発散になるのだな」と気付いた瞬間でもありました。

 

ただし、過食症は甘えでなく「非常につらい病気」

過食症に対する強いストレスを抱えていた私ですが、そもそも過食は私にとってストレス発散にもなっていたと気付きました。

自暴自棄な行為とはいえ「楽しみ」だと感じている部分も、やはりどこかあったのです。

(あるいは、すでに過食症のため「食べてはいけない」という思いが強く、それを破ることによる解放感もあるのかもしれませんが・・・。)

そういえば、もともと拒食から過食に転じるとき「今は痩せすぎているから、沢山食べていいんだ!」という喜びを感じたことを思い出しました。

いずれにしても、美味しいもの(しかも、やみつきになるような脂肪や糖の多い食べ物)を食べることによる「快楽」「緊張緩和」などの作用は、多少なりともあるのでしょう。

ただし、脳や身体のどこかで快楽を覚えるとしても、やはり過食症自体は本当につらいものです。一過性のやけ食いとは異なる、れっきとした「病気」です。

私は過去に、「過食は甘えだ」と人に言われたとき、悔しさやつらさでいっぱいになったことを覚えています。

「私は食べるのが止められずに苦しんでいる病気なのに。好きで食べているんじゃない。」と・・・。私は、過食が止まらず泣きながら食べていたことすらあったのです。

 

「お菓子中毒・依存症」のようであるという側面

「意志に反して食べてしまう」「本当はこんなに食べたくないのに」「食べ物のことばかり考えてしまう」という状態は、周囲からは理解しがたいようです。本人の意志の弱さにしか見えないかもしれません。

過食欲求は本人ですら理解し難いのに、周囲が理解できないのは、ある程度仕方ないのかもしれません。

しかし過食が酷いときは、「お菓子中毒、お菓子依存症」とでも言えるような状態になり、味わう暇もなく食べ物を詰め込んでしまいます。こうなると、意志の力はほとんど及びません。

私の場合、特に嗜好品であるお菓子(栄養摂取目的ではなく、美味しさや食べる楽しみを追求されたもの)の過食が酷かったです。

菓子類は、ある意味「やみつき・クセになる」「後引く美味しさ」「ついつい手に取ってしまう」「別腹」・・・このようにになることを研究されて作られています。

また、繊維質の物も少なくスルスル入っていくので、過食をうながす要因の1つとなり得るでしょう。

他にも、血糖値の変動も過食と関連性がある思います。その辺りのメカニズムは、今後もっと医学で解明されるのではないかと期待しています。

 

「過食が助けてくれたこと」に着目してみる

前章の「過食は非常につらい病気」というのを踏まえた上で、あえて「過食が私を助けてくれたこと」に注目してみましょう。

なぜなら、「過食は私を助けてくれた側面もある」と気付いてからの方が、過食症を治していく過程が少し楽になったからです。

完治のゴールまではもう少しありますが、険しい山道から人里に降りてきて、やっと「ここがどこで、どこに向かって歩いているのか」が分かったような気分です。

では、ここまでの道のりを、整理してみます。

■気付きまでの流れ

0、摂食障害になる前(※発症前だが、「摂食障害になりやすい人」というのはあるようです。)

1、何らかのストレスや引き金となるものが生じる

2、摂食障害を発症

3、過食と拒食を繰り返し、過食が何年も続く

4、「過食が治らない、つらい」と大変苦しむ

5、過食は、私を助けてくれていた側面もあると気付く(あるいは、思い出す)

私は、「過食は、過食以外の悩みのストレス発散になっていた。」そう意識することで、上記の「4」だけにとらわれて苦しむことから、「0から3」のところにアプローチできるようになり、単に「過食が治らない」と焦ることが減ったのです。

その結果、脳のストレスが減ったのか、「全くコントロールが効かない過食」からは抜け出すことができ、ある程度納得した量を食べている状態になってきました。

過食の猛威が軽減したのです。

 

過食が助けてくれたこと、そして卒業へ

過食が助けてくれたこと

それでは、具体的に「過食が助けてくれたこと」とは何でしょうか。

私の場合は以下のようなものでした。

・核心となる悩み「親子関係が上手くいっていない」「打たれ弱い(メンタルが弱い)」「孤独感」「無力感」などに直接向き合わずに済む。

・「食欲がない、眠れない、買い物すら行く気力がない」などの本格的なうつ病にはならず、何とか自分のやりたいことはやっていた。

・しんどいとき、不安なときに、気を紛らわしてくれた(仕事のストレス、対人ストレスなど)。

・生きづらい世界を生きるために、過食した(戦う力をつけるため、心にも体にもエネルギーが必要だった)。

特に私の場合、「HSP(ハイリーセンシティブパーソン、とても繊細な人)」の中でもとりわけ敏感である、超HSPに該当しており、過食は私がこの世界で生きていくために身につけた、下手なストレス対処法だった・・・とも感じています。

 

過食の卒業へ向かって、自分の意識を改革しよう

過食の卒業へ向かうには、もちろん必要に応じて治療も受けながら、過食に対しての思考に、革命を起こすのです。

■今までの、過食症への思考

  • 駄目だ(うつ状態を伴うことも多い)
  • 意志が弱い
  • 自分が悪い
  • 親が悪い
  • おかしい、異常
  • 治らない
  • 隠すものである、バレたくない
  • 過食なんて最悪、拒食のほうがまだいい

といったものから、下記のような受け止め方にバージョンアップします。

□過食症を卒業する思考

  • 発散の方法が上手ではなかった
  • 負のループにはまっちゃってるんだよね
  • 禁じると余計ストレスで食べちゃうみたいだから、味わって食べてみよう
  • 親子関係や仕事、恋愛のストレスもあったよね
  • 急に完治を目指さず、程度を軽くしてみよう
  • 現代社会の問題と関わりがあるみたい
  • 治療を受けながら、自分でも養生しよう
  • 過食にも意味があったんだ、でももう大丈夫、治っていいよ

このように捉えることは、私が過食を卒業していくうえで、大きなセルフヘルプ(自助。自分で自分を助ける。)となったのでした。